2008/02/13

W.リップマン「世論」を読んで

今日は少し脱線して、現在呼んでいる「世論 上・下巻」w.リップマン著 から学んだ報道の引用を数点。
「まず第一に、ニュースは社会状況の全面を映す鏡ではなくて、ひとりでに突出してきたある一面についての報告である」
また、
「読者に届けられる新聞は、ひと通りの選択が全て終わったその結果である。どんな項目を印刷するのか、それはどの場所に印刷するのか、それぞれがどれほどのスペースを占めるようにするか、それぞれがどんな点を強調するか。このような選択にあたって客観的な規準といったものはない。あるのは慣例である」

この二つの文には、自分の持っていた報道への概念が大きく突き崩された。
例えば、自分が日々目を通して知った気になっている世界はすでにある立場にいる人によって取捨選択を熟考の上になされた世界ということになる。
しかしこの文は新聞の負の側面をつきはするが、それは新聞を読むこと自体を否定するものでは断じてないと解釈している。彼は、W.リップマンが言いたいのは、これほど当然の如く日々の自分たちが目を通し、また多くの人がそれすらもしない新聞というものの、難しさ、社会的評価の乏しさを説いている。
また、リップマンは他の分野と比較して医学、工学、法学などのレベルまでこの職業を高めていくような努力が今までほとんどなされてこなかった理由は、いったいなんであるかを説いている

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