2008/02/08

中国ギョーザについて

我が家の近くにも、自分がよく利用する餃子屋がある。
先日前を通りかかったところ、ドアに張り紙で「当店の餃子はすべて国内で~」とお決まりの文句が書かれてあった。
さて、噂の餃子事件である。被害者が出たのが自分の地元でもある千葉県であり、いわゆる「生協」、生活協同組合の食品も以前は頻繁に我が家の食卓に並んだこともあり、ただ事ではない。

中国産食品のトラブルは今に始まったことではないが、この事件がこれまでの前例に比べて大きく取り上げられるのは、その「リアルさ、身近さ」にあると感じられる。
時に不安を覚えるほどの中国産食品類の安さの裏には、数々のスキャンダルも相まって誰しも何かあるという意識はどこかに持っていたはずである。
しかし、例えば段ボール肉まんがあくまで基本的には海の向こうでの事件での事件であったのに比べ、今回の餃子事件はまさに日本人の一般家庭の食卓から、一般的な餃子という食品から被害者が出たという点で、大きなインパクトを持っている。
今回の一件が決して軽いという訳ではないが、概してこういった事象は日々の積み重ね、ここでは日本人の中国産食品に対する不安の蓄積が、一つのきっかけで大きく噴出した形ではないか。

「中国製品を買うな」というのは簡単である。
しかしそれはあまりにミクロの視点に立てない立場からの意見であり、第一何の解決にもならない。
消費者に対するインタビューで、マイクを向けられた母親が誇らしげに「ウチでは中国製品は買わないことにしてますから」と語る。一母親としては至極よい心がけで、よき主婦として映し出したいのだろうか。 しかしこのような事件で、犠牲になるのは中国産の製品を買って家計を切り詰めようとする中~下流の家庭であり、日々の食卓が純日本産の材料からなる料理が日々出される家庭ではない。

有機栽培、オーガニック、昨今の健康ブームに伴い、これらの「健康さ」を喧伝する商品が確実に増え、実際に利益を上げている。
しかしこれらの栄養に満ち溢れた食生活を送るためには、東西を問わず経済的な余裕が求められる。
アメリカでも名だたる著名人がベジタリアンを志向する一方で、安く危険なファーストフードに経済的にも依存し、望まずとも体を壊すような状況に間接的に追いやられるのは貧困層の人々である。

安さと安全、同じ「安」という字を使っていても、両立することの難しさを感じさせられる一件だった。

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