2008/01/15

メディアリテラシーは普及したといえるのか

次期大統領候補をめぐる争いが連日ニュースをにぎわす一方で、任期を残り一年としたブッシュ大統領が、中東平和の実現に向け各国を歴訪している。
アフガニスタン、イラクへの攻撃に代表されるブッシュ政権への中東への介入は、今思えば日本でテレビ越しに見ていても非常に印象的であり、賛否両論あるにせよ、少なくとも自分の周りにいる人間は自分を含め批判的に見ていた。ここで、圧倒的多数の人々が2つの戦争を否定的に捉えている=ブッシュ政権の判断は失敗だったと結論付けるのは簡単かもしれない。
しかしここでブッシュ=悪、戦争反対派=善という2項対立を設定してしまうのは、まさに開戦直後に多くの米国民がフセイン=悪、それを征伐するアメリカ=善という概念の元に、思考停止に陥ったという過ちを繰り返してしまうのではないか。
大衆の意見を作る際、いわゆる「世論」の流れを意図的にある方向に形成しようとする際、誰にもわかりやすい2項対立(戦争においては善悪の2つが主流)を設定して、人々のステレオタイプを増長させるというのはいつの時代も扇動をする人物の常套手段で、かつ変わらず効果的であった。
今を生きる私たちにできるのは、溢れんばかりの情報を選別し、メディアにコントロールされるのでなく、メディアをコントロールして思考を深めることだ。
このようなことは特に「メディアリテラシー」という言葉が使われるようになってから頻繁にいわれ続けてきたことであるのに、元から情報を集めようとする姿勢すらしない人々がこれだけ多いのはなぜなのだろうか。
あまりに非日常的で現実味がない→興味がない→動こうとしない
という日本にいる限りある種避けられない環境がまだまだ存在するということは、「メディアリテラシー」の普及度も言うほどではないのかもしれない。
自分も大学に入るまでは耳にしたことなどなかった。耳したことがあっても興味のない人にとっては
その人にとって重要な種々雑多な他の情報にすぐに流されてしまうだろう。

自分が何がしたいのか
それは山積する諸問題に対して、意識がない、もしくは限りなく0に近い人々の意識を喚起し、ひとつの方向に向けさせることである。
人間はひどいこともする、しかし、歴史的に見て人間はすばらしい能力を持っている。
日本人を例にとると、戦後「発展しよう」という国民の気もちを限りなくひとつに近い状態にまとめられたことで、この急速な発展があった。

ならばなぜ世界の人々の「平和でありたい」といいう気持ちがひとつになったときに、達成できないのできないであろうか。 どれだけ理想、夢想と思われても、そう願い、自分に出来るアプローチを模索することだけは、どれだけ謗られても変わらない。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

「開戦直後に多くの米国民がフセイン=悪、それを征伐するアメリカ=善という概念の元に、思考停止に陥った」。
この状況って怖すぎるよね。
日本でも往々にして思考停止状態が起きているような・・(´・ω・`)
しかし人間は成長・変化できるとあたしは信じる☆
(”民衆”が成長できるのかはちょと自信なくなるあたりが悲しい)(ポジティブに終わろうと思ったのに結局ネガティブ?笑)

Sophie さんのコメント...

うん。怖すぎる。
メディアリテラシーはまだまだ普及してるとはいえないと思うな。
あたしは日本人の「無関心」を教育で変えていきたいと思ってるの。実際メディアリテラシー教育の必要性がいろんなとこで言われてるよね。でも今の学校でメディアリテラシー教育を行おうとすると、日本の学校制度そのものが分析の対象になってくるので、現時点ではなかなか難しいんだよね。わーネガティブになっちゃう!笑
もっと書きたいけど長くなってしまうので今度話すー。
あたしはよたやあこみたいな人が少しずつ増えていくだけでも世の中がいい方向へ向かっていると信じてる!
自分はもっと勉強しなくちゃなーそして対象は少なくていいけどおっきなインパクトを与えられる人間になりたい。
…ところで投票って一定期間で終了しちゃうの?笑