2008/12/29

としのせ

ご無沙汰です。

2008年も残すところあと、数日・・・
いきなりですが、目標はありますか?僭越ながら、自分にはあります。
ではそれを「努力」とか、「頑張る」とか言った月並みなことで達成できるか・・・
答えはすぐには出ないけど、難しいでしょうね。だって目標たかいもん

もはやブームといわれて久しい勉強法の本などを読んでいると、差はあるけど大体共通しているのが一週間、一か月、一年の時間軸分けて目標を策定、修正していきながら達成をめざすというのが多い気がする。
これがまた苦手なんですよ。手書きとか、PC上とかいろいろやってみたけど、結局長続きしたことがない。先輩にも言われたけど目標を立てて、振り返って評価することが成長を実感する唯一の方法だというのは同感なんだけど、やっぱりその日その日を最大限頑張ることに終始してしまう。

前置きが長引いたけど、要は2009年ここだけは達成することをリスアプしようと。胸に刻むと同時にブログにも刻もうかと。

もう前置きはいらないね

①語学→TOEIC900点 チャイ語、スパ語のなにかしらの検定
②政治→新聞の政治欄くらいは納得して読めるようになる
③文化人類学→自分の専門分野だと自信を持って言えるようにしておく
④ジャーナリズム→仕事として考えて、現実的な職業を見つける
⑤NPO,NGOの知識を深める

2008/11/21

荒れる

最近、色々と荒れている。

忙しいのは好きだが、不安定は好きくない。
徹夜するほど物事にのめりこむのはすきだが、睡眠不足はすきくない

夏の間中国で平均9時間睡眠で貯めていた分がDRAIN!
普段はこんなエセ英語ブログで使うのは一番嫌なはずなのに使うあたりがあれている影響か

荒れていながらも、抑えるところは抑えていると思っている、が、+アルファが足りない。
波に乗るまでは、何回波にのまれるだろう

人には「壁になんてぶちあたってなんぼだよ」というくせに、分かっている。
壁に当たるのは怖いし、いたいんだ

2008/10/26

サンクションとは

少し中国から離れて最近ファンになった辺見庸さんが書かれている文章を記憶の限り

”サンクション(経済制裁)という言葉について、一般的に大きな誤解がある。それはサンクションを受けた国家のトップが、必ずやいつかそれまでの所業を悔い改め、サンクションを行った国に服従してくるだろうというものです。この楽観的、かつ傲慢な思い込みは、サンクションを受けた国家(ベトナム)に長い間滞在していた身からすると、ひどく滑稽に映ります。一般にサンクションを受けた国の民衆は、疲弊し、虐げられる一方で、国家の元首は豪邸に住まい、パーティを開き、何不自由ない生活を民衆からの搾取により続けます。ニュースはより飢えに苦しむ民衆の国の元首ほど、腹が突き出ているのを証明しています。つまりは、サンクションというものは、責任を本来負うべき元首にではなく、直接的に民衆を直撃するのです。結果としてサンクションを受けた国の民衆の心に残るのは、サンクションを発動した国に対する嫌悪と、憎悪の気持なのです”

図書館に返却してしまったので、記憶の限りだけれども思い出す限りをかいてみた。
うーんこのことについては自分も「一般」の部類に入るような誤解を一部持っていた。
確かに金正日だったりムガベ首相はずいぶんいい腹を持っている。

援助物資が直接民衆に渡らないという話はよく聴くことだけれど、考えてみれば同様に外部からの制裁をコントロールして民衆にのみ当てることも可能なわけだ。

最近思うことは、こんなこと知ったからっていつなんの役に立つのか分からないけど、超実践的な経営学とかよりこっちの方が眠くならずに読めるんだ

2008/10/08

挨拶が表わす国民性

実は土曜日に帰国していますが、記憶の続く限りもう少し中国関連のことを書きます。

北京の街で顔見知りに朝、もしくは昼時に会うと「ニーハオ」の次に良く耳にする言葉が、「チーラーマ?」です。 中国語初心者の自分でもこのあいさつは聞けばすぐに理解できました。ただ何事もそうですが背景を知るともっと引き込まれます。「チー=食べる、ラー=動作が完了したこと、マ=語尾に付けることで疑問を表わす」合わせて「チーラーマ?食事はしましたかorご飯食べましたか?」
ここで、「はい、食べました」というと、大体その食事で何を食べたか、おいしかったかなどの会話に移ります。「いいえ、まだ食べてません」というと、仲が良ければ食事に誘われたり、おすそわけなどをしてもらえたりすこともありますが、英語のHow are youと近いニュアンスであまりその疑問自体に深い意味は無いような印象を受けました。
この挨拶、元々は1978年の改革開放政策以前の、中国市民が満足に食事をとることが出来ない時代の名残だそうです。つまり定期的に三食食べることのできる人口が当時は少なかったがために、この一見自分の目には当たり前or意味が無いことのように思えた質問が成立するわけです。

それではわれらが日本はどうでしょう。「すいません」もよく日本人を典型的に表す言葉に登場しますが、大学生の自分としては普段自分の生活でしょっちゅう耳にする言葉、「おつかれ」を例にしてみます。すれ違いざまに友人に「おつかれー」別れの挨拶にも「おつかれー」。 日本人はそんなに疲れるのが好きなのでしょうか。
そんなはずは無いと思いますが、頻繁に登場することは確かです。
この言葉の使い方は人それぞれだと思いますが、自分にとっては2限(10時40分開始)に大学に来て1時間半の授業を2つ3つ出席した程度で「お疲れ」は、そりゃないだろと感じます。ましてや決して人のことは言えませんが、寝ない学生がどれだけいることか。
それでも相手の日々の苦労をねぎらう「お疲れ」は頻出ですし、実際僕も使わない日の方が珍しいです」

ところ変わって自分の住んでいたい米国西海岸では、皆さんご存じの「How are you? →I'm fine. Thank you」です。そんなにアメリカ人は相手の機嫌を知りたいのでしょうか。
これもそんなはずはないでしょうが、決して彼らのライフスタイルと無関係ではないように思います


「そうだったのか」と思った瞬間の何とも言えない気持ちは、みんなに知ってほしいと思います。
僕はこれを一人で新聞を部屋で読みながら「へー」といいました

2008/09/20

パラリンピック バレー・ボール決勝の組み合わせ

やはりこうも連日パラリンピック関連のニュースを目にすると、書きたがりの身としては書きたくなります笑

ところでこちら北京では連日30分枠の国際ニュース(政治、天気予報を含む)の内、たいてい5分ほどをパラリンピック関連のニュースが占めるのですが、お決まりのようにメダルレースが毎日表示されます。そんなメダルレースそれとはなしに眺めていると、中国、イギリス、アメリカ、オーストラリア、ロシアと、やはり、というか当然というかいわゆる大国が揃います。
そんな中、パラリンピックバレーボールの決勝の組み合わせ、ボスニアヘルツェコビナ対イランを見て、背景を知らなければ不思議に思う人も多いのではないでしょうか。
大陸も違う、似ていることといえば語弊があるかもしれませんが小国ということくらいの両国の共通項は、「戦争」です。特にうち続く内戦の影響、さらに言えば膨大な数の地雷により下半身が不自由な人口の多いという悲劇が、図らずもボスニアヘルツェゴビナをパラリンピックバレーボール決勝の常連に変えました。ちなみに試合はイランが勝利しボスニアヘルツェゴビナの連覇を阻みましたが、負けて退場する彼らの背中には日本という国に生まれた私たちの多くが一生知らずに終わるであろう背負うものが感じられました

2008/09/14

パラリンピアンの持つ強さ

9月8日 くもり
インターン先の施設が障害者を扱う施設ということもあり、今日は施設の仲間たちとともに車椅子バスケットボールを観戦しにいきました。ドイツ対アメリカの試合だったのですが、ラッキーなことに前方5列目ほどにドイツのサポーターが10数人陣取っており、ことあるごとに「ドイッチェランド!ドイッチェランド!」の歓声。ドイツコールを北京できくことになるとは予想していなかった分、新鮮でした。前方の顔を赤らめたドイツ人男性が「うーうぁ!」というあまりテンションの上がらないかけ声を共に後列の私たちにウェーブを促します。ノリの悪い自分は手をひざから数センチのところでムズムズさせていると、前方のドイツ人軍団の中に1人の義手をはめた姿が目に入りました。よく見ると一人ではありません。程度の差はあれ、2、3人。彼らには上げたくても上げる手がないのです。かわいそうとか、自分に手があってよかったとか、そういった感情をすべて乗り越えたものがそこにはありました。事実、パラリンピックが毎回すばらしいキャッチコピーをつけても、心の中でいくら声高「One World, One Dream」を叫んでも、事実、二の腕から下の無い青年が、そこにいるのです。彼らの心の強さとは対照的な小さな気恥ずかしさから両手をあげない自分を尻目に、彼は力いっぱい笑っています。自分が今まで見えていなかった「強さ」を胸に笑っています

2008/08/23

ボランティアにも助けられて

早いもので、ついこの間始まったと思っていたオリンピックも今日と明日の閉会式を残すのみと
なりました。といっても普段の生活を送る分には北京の町はあまりオリンピック一色といった感じも
なく、職場の同僚もいつもと比べて静かなくらいだといっています。普段の雰囲気を知らない自分は
その点についてはわかりませんが、このオリンピックに伴って大増員されたという市内のボランティア
たちにはもしかする普通の観光客以上に助けられています。日本でも見かけによらず?抜けている
自分は、先日地下鉄の駅に携帯を忘れるという失態を中国に来てまで犯してしまったのですが、
翌日違う駅の通訳のボランティアに手助けしてもらいながら奇跡的に見つけることができました。
見つかったとわかったときにその時助けてくれた数人も共に喜んでくれたことで心がほっこりしました。
話はオリンピックに戻りますが、町は静かといってもテレビなどのメディアの盛り上がりは対照的です。複数のチャンネルでの同時放送はもちろん、連日オリンピック関連の番組が続きます。
テレビからでもメダルを取って涙する選手、一つの「国」を背負うという期待に、時にはプレッシャーに、崩れ落ちたり、歓喜したりする選手たちを見ていると、彼ら一人一人のストーリーが、それぞれ
の形で一つの終わりをつけるその瞬間を見ているようでなんともいえない気分です。うまく
言葉にできませんが、刺激されることは確かです。
こんな風に自国の、時には他国のアスリートの最高に光る瞬間を目にした世界の子供たちが、また
そのスポーツを始めてここまでオリンピックが続いてきたのでしょうか・・・

明日はこの雰囲気を感じに、チケットも持たずに鳥の巣に行ってきます!

2008/08/17

オリンピックとフートンと 

夏休みの間インターンをしているNGOでの第三週を終えました。先週の金曜はオリンピック開会式のため研修先が休みだったため、一週間フルに働くのは今週がはじめてでしたが、慣れも大きいせいか体力的な疲れはあまり感じない。でも新しい環境での生活はやっぱり精神的にちょくちょく気を使うことが多いです。普段、日本で何気なくやり過ごしていたこと、バスに乗る、レストランに行く、何より普通に話すことに少しずつ神経を使っている気がします。もちろんその一方で普段なら見過ごしてしまうようなことに気づかされることも多いです。今ではガイドブックにも少しずつ掲載されるようになってきているので知っている方もいるかもしれませんが、フートンと呼ばれる裏路地に入ると、華やかで便利な北京のイメージとは正反対の地元の人たちの日常生活が見えてきます。彼らにとってオリンピックはどれだけの意味があるのか不思議に思えるほど、いつもと何も変わらないような生活を送っているように僕には見えました。
オリンピックと言えば、ついに先週オリンピックが開幕しました!開会式当日は街中で雰囲気を感じたい気持ちもありましたが、友人が我が家に来るとのことだったので無念のテレビ観戦となりました。しかし集まってきた友人が友人を呼び、結局集まった国籍はフランス、ベトナム、スイス、タイ、マレーシアと多国籍軍団となり、選手入場の際にはそれぞれの自国が紹介されるたびに歓声が上がります。(自分も日本の入場の際にはもう少し愛国心を出すべきでした笑)こちら中国でのテレビ局でさえオリンピック政治的側面が議論されていますが、こういったセレモニアルなイベントを見ると、そういった背景を一切無視して、アスリートたちの技術にひたりたくなる気持ちはみんなが共有している部分だと思います。

それでは再見!

2008/08/04

1st report from China

7月29日夜9時、初めての中国に降り立った。移動時間も3時間ほどで思ったより疲れることもなく到着する事ができた。北京について最初の数日間は曇りの日が続き、日本と違いあまり湿気を感じないせいか涼しく感じます。到着後3日目に初体験した北京の雨の日は、Tシャツでは肌寒く感じるほどで軽い避暑気分です。しかし予想通り戸惑ったのは中国語でした。大学での第二外国語もスペイン語の私は通じないものと覚悟はしていましたが、久々に痛感するコミュニケーションが出来ない、という辛さに最初の数日は本当に打ちのめされました。この個人的には異空間に等しい場所で、私は現地のNGOで2ヶ月間のインターンをする。うまくいかないことの方が多いでしょうが、世界共通の写真とボディランゲージを駆使して、充実した時間にしたいと思います。

2008/07/14

背負った言葉とサポート刻んで


まぁ、言うまでもなく、助けられてるわな。

必ず還元する責任がある。

周りに何かを与えることなしに、「自己成長」を目指していた去年の自分、どれだけエゴイスティックで、雲がかかってたんだろう・・・

てか、今でも雲はたくさんかかっているはずだけど、少しずつかき分けて、大きな人間になれたらいいな

2008/06/23

今日刻んだ言葉

どんなにアツい気持ち、コトバをもっていても、それを実行に移さなけりゃ意味が無い。
しかし、スキル、知識が無い状態で行動して周りに迷惑をかけたり、ましてや死んだらそれは意味なし。

人は本当に意識の根本的なところで「知る」と、例えば「国際貢献しよう」とか「環境保護しよう」とか理屈じゃなくて行動から変わってくる

国連機関が一年間で援助する食糧と同じ量の残飯を捨てている国、日本にいる自分が、いくら映画観て泣いて、知識蓄えておごっても意味無い。

必ず、何かする

2008/06/19

【お願い】

08年度夏休み、自分は、自分の知らない世界の人たち(中国)と写真を使って交流しようと思っています。日本人の視点から撮る「日本」や「日本人の見る景色」をまとめて、国籍の異なる人々に見せることで、「日本」を紹介しようと思っています。 皆さんがデジカメ等で撮った写真で、感情を動かされた写真はありますか? 笑ったり、泣いたり、なんでもかまわないので、これだ!と思う写真をデータで持っている人は、陽太のPCアドレスまで送ってもらえると嬉しいです。 データで無い人は、スキャナがあるので直接会って貸して下さいw 自分が絶対責任もってまとめて一つの形にしてこの夏に活かし、また協力してくれた方には必ずその経過、結果を自分の出来る最高の形で報告します。 出来れば日本からも使い捨てカメラをたくさん持って行って、現地の人たちに彼らの視点からも中国の写真を撮ってもらい、写真を使って交流したいと思います。やれるところまでやってみたいと思うので、協力を待ってます!

2008/06/13

絶対安定

色々と人と違うことをやりたいわけだから、周りと違う景色を見たいわけだから、人と違うことをしなきゃならないわけだ。でもそれは好きなことを好きなだけするわけじゃない。

まずは基盤を安定さして、人と違うことをする基盤になる身体を作らなきゃ。
とここ2、3日の荒れ果てた生活からくる反動に悲鳴を上げた自分の体が語りかけてきた。

生活を安定させる事と、人と違う景色を見ることは(ある程度)両立するってことを、身を以て証明したい。

2008/05/14

理想主義?ポジティヴ過ぎ?

夢は叶うとか、努力しても無駄とか、そんなの結局分からない。
今自分が一番良いと思うやり方で、とことんがんばるだけ

2008/05/07

自分を持つということ

人は、流される。
まして自分は大学生。19歳と3ヵ月がやっとたとうとしている。
この時点で自分にゆるがない軸があって、ひとと話しても、何も揺るがなければ、それは凄いことだと思う。けれど幸か不幸か、自分はそんな揺るがないことは難しい。
人の考えを聞けば、大なり小なり自分の考えも影響を受けるし、自分の揺るがないと思ってた自信だって簡単に突き崩される。 このブログの方針だってそうだ。
別に自分が特別弱いとも思わない。だってこれも人に聞いて、当たっている部分が多いと思ったことだから。そうやって砂場で転がりまわっているウチに、崩れない、固い中心が形成されてくるのかな。

2008/02/24

「ジェノサイドの丘」を読んで

もはや当初の目的からだいぶ脱線した投稿が続く・・・



タイトルの本を読んでいて、まったくの引用ではないが、共感出来る文が出てきたので自分の考えと合わせつつ紹介。

例えば一年前の段階の自分は、その時の一生懸命になれるもの(当時は演劇)があり、充実していて、楽しかった。自分の周りの小さなコミュニティで活動し、ベストを尽くし、言うまでもなく最高に楽しんだし、良い経験だった。それは、それ、今は、今、である。



この一年で、映画、現在自分のいる団体での機会、授業、様々なことを学んだ。あまりに「学んだ」とか「成長した」とかを使い過ぎて(実際学んだし成長もしたが)、最近は軽率にそんな言葉を使い過ぎる。

自分でも成長を実感する一方で、周りが見えてきた分自分と同世代で圧倒的な視野やすごさを持っている人にも会う機会も多かった。最近思うことは、ある意味大学での特に最初の一年、「成長する」のは当たり前である。別に自分が100回「成長した」を繰り返しても、その分余計に成長するわけではない。最近チームで活動することが多くなり、頑張っている仲間に「がんばって」とか」「自分に出来ることは言って」とか機械の如く繰り返し言うが、では「成長した」自分に何ができて、どう助けられるのか、すごく限られている。 第一、自分に「がんばって」と言われたからといって、劇的に元気になったり、新たな力がわいてくるほど、今の自分の周りにいる仲間は弱くない。

今一番しておきたいことは、どんな形であれ、手助けを求められたときに、対応出来る自分の力をつけ、余力を確保しておくことだ。



長い意味不明な前置き



今日、タイトルの本から何を伝えたかったかとういと、自分の今の生活の「軸」となっているものを明確にしたかった。時折思うのは、自分は何が楽しくてこのような、いわゆる「カタい」ことに関する本を読み、そんな団体に所属し、そんなことを考えるのか。はっきりしていることは、それが自分を動かす大きな原動力であり、何より安心するからである。

例えば、ジェノサイドに関して、善悪などとっくに分かっている。だがそれでもこの問題についての本を読むのは、知ってしまった以上、無視するのが、その存在そのもの、そして自分のそれとの関係以上に恐ろしく思えるからである。自分の話を聞いてくれる人みんなに言うことだが、このことを四六時中考える器は自分には無い。だが頭の片隅に置き、自分の行動が何かしら繋がり、自分が救いたい人たちの解決に繋がっていると意識した上での行動は、自分にとって「楽しい」し、「軸」がある。知ってしまったが為(後悔はまったくしていない)、もうその光景を忘れてしまうことが怖い。だから何かとこじつけや矛盾も多いのを知った上で、自分の行動をつなげようとする。何故なら理想があって、それに自分が近付いていることを意識しながら動くことが、何より安心するし、そういう考え方をしないと長続きしないと思うから。

2008/02/13

W.リップマン「世論」を読んで

今日は少し脱線して、現在呼んでいる「世論 上・下巻」w.リップマン著 から学んだ報道の引用を数点。
「まず第一に、ニュースは社会状況の全面を映す鏡ではなくて、ひとりでに突出してきたある一面についての報告である」
また、
「読者に届けられる新聞は、ひと通りの選択が全て終わったその結果である。どんな項目を印刷するのか、それはどの場所に印刷するのか、それぞれがどれほどのスペースを占めるようにするか、それぞれがどんな点を強調するか。このような選択にあたって客観的な規準といったものはない。あるのは慣例である」

この二つの文には、自分の持っていた報道への概念が大きく突き崩された。
例えば、自分が日々目を通して知った気になっている世界はすでにある立場にいる人によって取捨選択を熟考の上になされた世界ということになる。
しかしこの文は新聞の負の側面をつきはするが、それは新聞を読むこと自体を否定するものでは断じてないと解釈している。彼は、W.リップマンが言いたいのは、これほど当然の如く日々の自分たちが目を通し、また多くの人がそれすらもしない新聞というものの、難しさ、社会的評価の乏しさを説いている。
また、リップマンは他の分野と比較して医学、工学、法学などのレベルまでこの職業を高めていくような努力が今までほとんどなされてこなかった理由は、いったいなんであるかを説いている

2008/02/08

中国ギョーザについて

我が家の近くにも、自分がよく利用する餃子屋がある。
先日前を通りかかったところ、ドアに張り紙で「当店の餃子はすべて国内で~」とお決まりの文句が書かれてあった。
さて、噂の餃子事件である。被害者が出たのが自分の地元でもある千葉県であり、いわゆる「生協」、生活協同組合の食品も以前は頻繁に我が家の食卓に並んだこともあり、ただ事ではない。

中国産食品のトラブルは今に始まったことではないが、この事件がこれまでの前例に比べて大きく取り上げられるのは、その「リアルさ、身近さ」にあると感じられる。
時に不安を覚えるほどの中国産食品類の安さの裏には、数々のスキャンダルも相まって誰しも何かあるという意識はどこかに持っていたはずである。
しかし、例えば段ボール肉まんがあくまで基本的には海の向こうでの事件での事件であったのに比べ、今回の餃子事件はまさに日本人の一般家庭の食卓から、一般的な餃子という食品から被害者が出たという点で、大きなインパクトを持っている。
今回の一件が決して軽いという訳ではないが、概してこういった事象は日々の積み重ね、ここでは日本人の中国産食品に対する不安の蓄積が、一つのきっかけで大きく噴出した形ではないか。

「中国製品を買うな」というのは簡単である。
しかしそれはあまりにミクロの視点に立てない立場からの意見であり、第一何の解決にもならない。
消費者に対するインタビューで、マイクを向けられた母親が誇らしげに「ウチでは中国製品は買わないことにしてますから」と語る。一母親としては至極よい心がけで、よき主婦として映し出したいのだろうか。 しかしこのような事件で、犠牲になるのは中国産の製品を買って家計を切り詰めようとする中~下流の家庭であり、日々の食卓が純日本産の材料からなる料理が日々出される家庭ではない。

有機栽培、オーガニック、昨今の健康ブームに伴い、これらの「健康さ」を喧伝する商品が確実に増え、実際に利益を上げている。
しかしこれらの栄養に満ち溢れた食生活を送るためには、東西を問わず経済的な余裕が求められる。
アメリカでも名だたる著名人がベジタリアンを志向する一方で、安く危険なファーストフードに経済的にも依存し、望まずとも体を壊すような状況に間接的に追いやられるのは貧困層の人々である。

安さと安全、同じ「安」という字を使っていても、両立することの難しさを感じさせられる一件だった。

2008/01/29

過去

前回が大学の話を書いたので、今回は自己紹介も兼ねて大検について書いてみようと思う。

前回に続いてニュース性という意味では乏しい文章になってしまうが、更新が一週間単位という時点ですでに時事的な事象を継続的に書くことは放棄している状態なので、やむを得ない。

さて、大検である。

正式名称は大学入学資格検定で、現在の名称は高校卒業程度認定試験に移行しており、自分がこの資格を取った際2005年ではちょうどこのシステムの過渡期にあったのだが、自分が普段自称する際は大検の言葉を使っているため、今回もこの言葉を使うが、現在の高校卒業程度認定試験とシステム的には大きな違いはないと理解している。
ウィキペディアによると下記のような説明になる。

「大検」
高等学校未卒業など何らかの理由で大学入学資格を有しない者に対し、高等学校を卒業した者と同等以上の学力があるかどうかを認定するために検定を行って、合格者に大学入学資格を与えるものであった。


このブログを見ている方は、理解度の差はあれ、自分が大検というシステムを経て、現在の立教大学にいることを知っていると思う。
入学当初の当たり障りのない会話では、出身高校や生まれは最も頻繁に登場するテーマの一つであったが、意外に周りが自分の経歴を語っても驚かないのが逆に少し拍子抜けしたようなきもした。
思えば大学という場には様々な経歴で入ってきた人がおり、僕の経歴も人と違うとはいえ、特別驚かれるようなことでも無かったということなのだろうか。いずれにしろ好都合だった。

とはいえ、今は自分の中で考えも説明の仕方も整理できたといえるが、当初は色々と葛藤もあったと記憶している。
事実、大検は「違う」のである。この違いを無理に説明(強調?)しようとしすぎたことが、半年前の自分の失敗の一つであったと思う。
繰り返しになるが、大検は「違う」その思いは今も変わらない。
しかし以前と違うのは、そのことに今の自分は+も-の感情も持っていない。
大検云々にかかわらず、多かれ少なかれ誰しもそうであるように、ただ見てきた世界、通ってきた道が違うだけである。
大検を経て大学に入ること、いわゆる全日制の高校での3年間を経て大学に入ること、どちらが良いということを話しているのではない。両方のやり方にメリット、デメリットがあり、どちらが優れたシステムという話ではない。多くのマイノリティは現実問題としてその「違い」から差別、迫害を受けることはあっても、良い意味での「違い」を強調されることは少ない。しかし幸いなことに、自分の「違う」経歴に関しては、卑下することではないが、誇るほどのことでもない、自分は大検を利用してここにいて、それ以上でも以下でもないのだ。
ここまでの短い大学生活でも、下手に自分が違うことを強調して、思えば「こんなにあなたと違うのだからそういう風に見てくれよ」と言うことを言ってある種の特別扱いを受けたかったのかもしれない。
しかしそうして自分を今思うとやや不器用なやり方で知ってもらおうとする過程で、友人に「それがなんなの?」と言う言葉をかけられた。その言葉は何のためらいも無く、出されたものであったがゆえに、一気に肩の力が抜けた気がした。故に方法としてもっと適切な伝え方はあったかもしれないが、口に出して自分を表現しようとしたことに関しては後悔はしていない。

一方で社会全般で見るならば、全日制の方が圧倒的なマジョリティであり、従って人々の見方は当然それを「フツウ」、大検(大検に限らず、マイノリティにありがち)を「フツウでない」という前提の元に考える。
くどいようだが、そこに大学に入った時点でそこに優劣の違いはないと考える。ただ現実多くの人の見方は、このようになっているということを、経験から知っている。
ここに一つ改善の余地があると思えるのは、多くの人が、同列の選択肢としてすら大検や、他の方法を想定していないように見えることである。現実として社会的な認識が大検=フツウでない=引きこもり、不登校、二―トというマイナスのイメージを連想している限り、多くの人にとって大検の認知度は向上しないであろう。
しかし、高校に行けなくなった高校生たちの受け皿という、低列におかれた現在のイメージから、高校という選択肢、大検という選択肢というように同列で考えられるようになることによる産まれるものは、大きいはずだ。
選択肢はいくらあっても困ることはない。
現実高校生の年代の子供たちに、フツウの高校以外の方法で大学に入る選択肢があることなどを知る機会は、まず無いだろう。しかし一つの選択肢として、親、メディアなどが提供することは子供たちにメリットこそあれ、何の害も無いと思える。

くどいようだが、どちらが優れているというレベルではない。選択肢が他にもあるのに、元より考慮せずに苦悩することはより多くの情報を持つことによって避けられるといいたいのである。

やや私見の強い文章が2回続いたので、次回は何かのニュースを元に、客観的な視点を交えて書きたいものだ。

2008/01/20

一年前を思う

幼稚園の頃から長い付き合いになる友人に、センター試験激励のメールを送っている自分がなんだか不思議に思えてきた。

彼とはいまどき珍しい家族ぐるみの付き合いで、自分と対照的な道を歩みながらも常に連絡を取り続けていた。自分が早々にホームスクールを始めたのと対照的に、彼は家族の方針もあり自分から見るといわゆる優等生であった。途中自分が海外にいたこともありやや疎遠になったが、帰国後も変わらず連絡を取り合った中だった。そして去年、自分は大検という道から大学に合格し、彼は浪人した。

自分にとって大学という機関はなぜか幼いころから変わらず魅力的であり続け、願望もあった。

だからどれだけ途中の義務教育を飛ばしていたとしても、大学に行きたいというモチベーションを常に一定以上に保ち続けたことで、ここにいて、満足していた。

故に立教大学という土壌の特徴なのか、入学後早々に回りが第一志望では無いという会話で盛り上がることに違和感を覚えた。
「良い大学」というのは何を持って決められるのだろうか。

受験生の多くが思うように、偏差値であろうか。
大学の持つ設備や、教授陣によってであろうか
その大学の輩出するOBの知名度によってであろうか

どの答えも100%の回答とは思えない。
しかし、他大学生と話す機会に恵まれている団体に所属している今までの経験から感じることは。主に
2点である。

①どれだけ偏差値の高い大学にも大学生かと疑うような学生(ここでは勉強へのモチベーションが少ないことをさす)はいるし、その逆もありえる。
②しかし一般に「良い」大学と言われる大学には自分で見ていて「すごい」と思える人間に会う確率が断然高く、そのための機会も充実している。
どこに行くにしても学生次第、というのは疑いの余地はない。
しかし、例えば素質的に何かの分野で一流になれる学生がその芽を出し始めたときに、彼、もしくは彼女をより輝かせる機会、仲間がより多くあると思えるのが、自分の思う「良い大学」である。そしてそれが結果として世間で言われる「良い大学」と概ね一致している。

また自分の経験で恐縮だが、大学生活の早い段階で手の届かないほどすごい、自分もいつかそうなりたいと思えるようような仲間と会う機会に恵まれたことが、現時点での自分の活動の大きな原動力となっており、またこのような経験は他の人にも当てはまると信じている。そして、その経験はどこでも得られたかというと、そうではない。立教大学と言う比較的「良い」大学だからこそ得られた機会であった。

志望大学に合格できたか、希望の就職先に内定したか、と言うことでその後の将来が左右されるかのようなプレッシャーにさらされる。  自分は大検と言う背景から来たからこそ思うに、あまりに多くの人が上を見据えすぎているように感じる。少しでも上へという気持ちは忘れてはいけないが、それは後ろを振り返らないということと同じではない。 結果として上へと行くことが出来なかった自分を責める前に、今の立場に至ることすら、様々な状況から許されなかった人々を考えるべきではないか。       

話がずれたが、「良い」大学にいる以上、その環境を活かさない手はないし、活かす責任がある。なぜなら今この環境は各人が何より分かっているはずだが、あまりに多くの人々のサポートに依拠している。その人たちのために自分たちに出来るのは、この与えられた環境を最大限活用し、楽しみ、かつ成長し、かつ還元することだ。それが「良い」大学で「良い」大学生活を送ることであると信じている。



                                

2008/01/15

メディアリテラシーは普及したといえるのか

次期大統領候補をめぐる争いが連日ニュースをにぎわす一方で、任期を残り一年としたブッシュ大統領が、中東平和の実現に向け各国を歴訪している。
アフガニスタン、イラクへの攻撃に代表されるブッシュ政権への中東への介入は、今思えば日本でテレビ越しに見ていても非常に印象的であり、賛否両論あるにせよ、少なくとも自分の周りにいる人間は自分を含め批判的に見ていた。ここで、圧倒的多数の人々が2つの戦争を否定的に捉えている=ブッシュ政権の判断は失敗だったと結論付けるのは簡単かもしれない。
しかしここでブッシュ=悪、戦争反対派=善という2項対立を設定してしまうのは、まさに開戦直後に多くの米国民がフセイン=悪、それを征伐するアメリカ=善という概念の元に、思考停止に陥ったという過ちを繰り返してしまうのではないか。
大衆の意見を作る際、いわゆる「世論」の流れを意図的にある方向に形成しようとする際、誰にもわかりやすい2項対立(戦争においては善悪の2つが主流)を設定して、人々のステレオタイプを増長させるというのはいつの時代も扇動をする人物の常套手段で、かつ変わらず効果的であった。
今を生きる私たちにできるのは、溢れんばかりの情報を選別し、メディアにコントロールされるのでなく、メディアをコントロールして思考を深めることだ。
このようなことは特に「メディアリテラシー」という言葉が使われるようになってから頻繁にいわれ続けてきたことであるのに、元から情報を集めようとする姿勢すらしない人々がこれだけ多いのはなぜなのだろうか。
あまりに非日常的で現実味がない→興味がない→動こうとしない
という日本にいる限りある種避けられない環境がまだまだ存在するということは、「メディアリテラシー」の普及度も言うほどではないのかもしれない。
自分も大学に入るまでは耳にしたことなどなかった。耳したことがあっても興味のない人にとっては
その人にとって重要な種々雑多な他の情報にすぐに流されてしまうだろう。

自分が何がしたいのか
それは山積する諸問題に対して、意識がない、もしくは限りなく0に近い人々の意識を喚起し、ひとつの方向に向けさせることである。
人間はひどいこともする、しかし、歴史的に見て人間はすばらしい能力を持っている。
日本人を例にとると、戦後「発展しよう」という国民の気もちを限りなくひとつに近い状態にまとめられたことで、この急速な発展があった。

ならばなぜ世界の人々の「平和でありたい」といいう気持ちがひとつになったときに、達成できないのできないであろうか。 どれだけ理想、夢想と思われても、そう願い、自分に出来るアプローチを模索することだけは、どれだけ謗られても変わらない。

2008/01/03

ケニヤでホロコーストの懸念


http://edition.cnn.com/2008/WORLD/africa/01/02/kenya.rally/index.html?eref=rss_world

最近CNNのニュースで毎日のように大きく報道されるニュースがある。
ケニヤの次期大統領選で、僅差で勝利したと伝えられている現職のキバキ大統領の再選に対し、野党のオディンガ候補が「不正があった」と異議を唱えたことから、オディンガ候補の支持者を中心にデモなどで多数の死傷者が出ているようである。

このニュースは大分前から知っていたが、日本にいる自分たちにとって、アフリカという地域のニュースは、海外でも特に現実離れしているような感覚で受け取る傾向があり、これまで取り上げなかった。

しかし、自分が書くことにしたきっかけは、この混乱を避け教会に避難していた民間人少なくとも50人が、暴徒化したオディンガ氏の支持者たちによって教会ごと放火され、死亡したというニュースであった。
50人には、女性や子供も含まれていた。
一連の混乱には様々な要因が複雑に絡んでいることだけは確実だが、CNNによると
Much of the violence is between supporters of Kibaki, from the majority Kikuyu tribe, and backers of Odinga, who is from the Luo tribe.
やはりここにも私たち日本人には想像しにくい民族の問題が絡んでいるようだ。
多数派の部族、キクユ族の支持基盤に持ち、自信もその生まれであるキバキ氏に対して、やはりルオ族の生まれで、ルオ族を中心に支持を得るオディンガ氏。
今回の教会の事件では、このルオ族の支持者の一部が犯行に及んだようである。
アフリカで、民族問題による事件というとやはり1994年に起こったルワンダでのジェノサイドを思い出さずにはいられない。
ケニヤの件はルワンダでのジェノサイドのときほど、部族間の人数において大きな差があるとは言えない点で異なるが、アフリカ諸国でも例外的に治安、経済的に安定してきているというイメージの強かったケニヤでのこの混乱は、アフリカの未来が依然不透明なことを再認識させられる。

そもそも~族といった概念は、日本人が単一民族である、無いという議論とは別にして、今を生きる私たち日本人には実感を持って感じることは難しい。
パスポートに「大和民族」「琉球民族」と書かれる姿など、想像も出来ない。
しかし現にルワンダでの民族紛争ではそういった理由をもとに、生死が左右されたのであり、今回のケニヤでも問題の一つの中核をなしていると自分では思っている。
この複雑な問題についての意見を書くには、まだ知識が足りないようなので割愛するが、環境問題、貧困問題等と違い、自分にとって解決の糸口がより見つけやすいと感じられるのは、自分が実感を持てていない何よりの証拠なのだろうか