2009/11/28

人生の価値の図り方

ふと先日、とある映画を見ていて思ったことがあります。これだけ簡単に涙出来るのも得な性格だなぁ…と。その映画で印象に残ったセリフがあります。余命残り少ない主人公が、相方に人生の価値を図る物差しは、以下のように決まると語りかけます。
「人生に喜びを見つけたか」、と「他人に喜びを与えたか」
 この二つ、中々どうして難題ですね…少なくとも僕はまだ両方達成したと胸を張って言えません。
 この2点のどちらが達成されなくても、満足は出来ない、と僕は思います。このセリフに批判的になることは僕には出来ず、素直に心に入ってきました。

相変わらず非常に単純な正確は高校生の時から変わっていない気がします。いや、 最近は感受性と言った方が聞こえが良いのでそうすることにしていますが笑

追伸
皆さんの人生の図り方に興味が非常にあります!
皆さんがどんな物差しで人生の楽しさを図っているのか、気軽に教えてもらえると嬉しいです^^

2009/11/11

TSUBUSHI効かせたいの?

ようやく風邪も治り来る寒波にいっそコタツに入りながら移動したいこの頃です。

さて、芸術の秋ということで最近旧友より演劇、写真展等と様々なイベントに誘っていただく機会に恵まれて、足を運ばせてもらっています。

高校時代までは色々ありましたが、結果的に大学と言う多くの人が過ごす環境で日々を過ごす自分にとっては、そう言ったある種アーティスト肌の友人の動向がびみょーに気になることが多く、色々と誘ってもらう度になんともいえない複雑な感情を覚えます。

なんともいえないと言っておきながら敢えて表現してみると、それは「思い切り好きなことをやって、羨ましい…という羨望」と「おぉ・・・またツブシの効かない道を選んでいるが大丈夫なのかな…おそらく今後苦労するんだろうなぁ」というお節介の感情でしょうか。

それで翻って自分は、果たしてTSUBUSHIが効くのでしょうか、というかそもそもTSUBUSHIを効かせたい願望があるのでしょうか。仮定の上に仮定を重ねた話になりますが、仮になにかの関係である道を踏み外し、TSUBUSHIを効かせて復帰して、その時に自分は「あーTSUBUSHIが効いてて良かった」と思うのでしょうか…そうは思えないような気がします。

そもそもTSUBUSHIを効かせるには十分道を外し過ぎました、そしてそれは誤って踏み外した道ではなくて、自分で選んで踏み外した道で、幸いにして踏み外したと思った先にやはり道はあったし、これからもあるはずです。なければ作る。それぐらいの気概がなくて今まで自分が歩んできた道を支えてくれた人たちに顔合わせが出来ないでしょうが!

2009/11/05

風邪をひいてしまいました…

日々の睡眠不足、炭水化物に大きく偏った食生活意外は特段思い当たるフシもない健康優良児だったのですが、風邪をひいてしまいました…
 寒くなったのも手伝って、今朝は久々に10時間程睡眠を取らせてもらいました。
マスクをしてゴホゴホしながら電車の中をやっていると、心なしか周りの視線が痛く、「あぁ、せちがれぇ」と久々に思いました笑

そんな折ふと実家に帰った際にトイレに貼ってあったカレンダーにあった「自分で選んでやっていることは苦労ではない」という言葉、そうだよなぁと思わされ久々に携帯の壁紙を変えて設定しました。中々良いこと書いてあるので、僕を見かけたら「携帯見せて」と言ってもらえるとブログを見てもらえているのと二重の喜びです。

今の気持ちを表すなら「風邪をひいただけで、人は、世界を悲観的に、見るようになる」という谷さんの言葉でしょうか。